10月20日に初公判という事だが、最初にニュースで聞いたときに「なぜ、ハラスメントの記事が出ると知った時に、『当事者に会いに行って、謝罪をして話し合う事』をしなかったのか。当分活動を自粛するとか、なぜそれを考えなかったのか」と思った。
で、去年、猿之助さんが「漫才師の役でドラマに出る」というドラマの宣伝を見たときに「忙しすぎるんじゃないの?大河ドラマにも出ていて‥‥。歌舞伎だけでも大変なのに。休むことも仕事のうちだから、ちょっとは休んだ方がいいと思うけど」と思ったことを思い出した。
昔、4世代同居で、乳児の世話と義祖母の介護と家事などで睡眠時間3時間の生活をしていた時に「あと一つ、なんか問題が起こったら、私は寝ている間に死ぬかも。それか倒れるかも。」などと思ったことがある。
しかし、なんとかやり過ごした。
それから数十年経って、同じような内容の事を、黒柳徹子さんがテレビで話されていて、驚いた。
「昔、とても忙しい時期があって、もう頭の中がいっぱいで『あと一つ何かあったら、頭がどうにかなってしまう』と思ったことがあった」というような内容だった。
本当に「ギリギリの状態で過ごしている」時に、「あと一つ」重大な事が起こると、心が折れるのではないか。
だから猿之助さんも歌舞伎公演で忙しいときに「週刊誌報道」の内容を知り、ギリギリ踏ん張ってきた限界を超えてしまい、ピーンと張った糸が切れて「もう、疲れ果てて、仕事はできないし、動けない。人とも話せない」みたいな思いになったのではないか?
「向精神薬」という報道で、精神科に通いながら仕事をされていたことを知った。
「睡眠薬がたくさんあった」という事は、忙しくて飲み忘れたとか、飲んでも効かなくなってしまって飲むのをやめた(?)とかで、どんどん薬がたまってしまったのかもしれない。
ご両親は70代半ば。
父の段四郎さんは病に伏し、もしかしたら家族に「迷惑をかけてすまない」と思っていたかもしれないし、母の延子さんは看護や家事で多分お疲れだった事を考えると、「家族会議」での合意(?)というのはあったのかもしれない。
少し年下の私でも、体調が悪いと家事をするのがすごく億劫になる。
私が帯状疱疹で寝込んだ時は、1か月半、家族に家事をやってもらっていたので、長い闘病となれば、もっと「すまない」という気持ちが出るだろう。
しかし、家族なのだから、それは助け合いだし、すまないと思う必要はないと思うが、どうしても「それが出来た頃の元気な自分を思い出してしまい、申し訳ないと思ってしまう」のだ。
今のご両親の楽しみは「猿之助さんの活躍」だったと思う。
それがなくなってしまうとなれば、「もう生きていても‥」と悲観されたかもしれない。
ただ、「段四郎さんが病に伏されている事」は、記者なら知っていたのではないか?
記事にせず、まずは猿之助さんに「パワハラの話を聞きましたが事実ですか?直接謝罪してはどうですか?」という問いかけを、できたら、していただきたかった。
家族に病人がいると、色々大変な思いがあるから。
だらだら自分の思いを書いたが、同じような立場にならなければ理解してもらえないだろう。
悲しいことだ。