1月28日のNHKスペシャル「未解決事件File06」を見た。31年前の「朝日新聞、阪神支局襲撃事件」だ。

これについては、見ていて、いろんな思いがある。

 

しかし、民主主義とは、自らとは異なる意見も「そういう考え方もあるか」と受け入れ、共に生きていくという事だと思う。「和して流れず」(仲良くするが、自分の意見は自分の意見として持ち、人の意見に流されない)という事だ!

 

ショックだったのは、記者が、ある人物にインタビューした、次のやりとりだ。

 

ある人物「朝日新聞という反日犯罪組織は、日本民族を滅ぼすという最も悪質な犯罪を、日夜犯している。これに対し処刑行為をするのは当然のことだ。私らも年食ってしまったが、やらなきゃいけないんだったら、いつでも今からでもやらなきゃいけないと思っている」

記者「殺人行為を肯定されるんですか?」

ある人物「殺人じゃない。殺人は否定しますよ。殺人は否定するけど、それは処刑だと」

その後も、殺人を犯した〇〇隊を正当化する受け入れがたい主張を繰り返した。

 

この発言は、とても受け入れられない。

亡くなった小尻記者のご両親は「息子に会いに行く」という気持ちで、毎日雨の日もお墓参りを欠かさなかったという。

 

時効を目前に控えた時のインタビューでお母さんは泣きながら「人前では泣いている姿は見せられない。私がいつも泣いていたら皆さん迷惑でしょう?だから、できるだけ(人前では)ばかな事を言ったり面白く言ったり。つらいです。15年過ごしてきたと思ったら、自分でもよくここまで生き抜いてきたと思います」と話され、お父さんはお母さんの背中をさすっておられた。悲しみの日々を思うと、言葉がない。

ご両親は、事件の解決を見ることなく、亡くなられた。

「何の罪もない人の命を奪う」権利など、誰にもない! 

捜査はずっと続けられているが手掛かりがないため、未だ解決されていない。

 

もう一つショックだったのは、ヘイトデモに「警察が同行していたこと」だ!

「今こそ一億〇〇隊となり、反日新聞を徹底的に叩き潰そう」と叫んでいるデモ隊を、何故警察は容認して同行するのか?

「この事件については、義挙である。立派な行動である」と街頭で演説していたが、それを見ていた男性が

「どこが義挙やねん! 人殺しやないか! 人が死んでんねんぞ!!!」と話したら、急に言い訳じみた話し方になった。男性の言った言葉が、国民に共通する意識だと思う。

何故警察は、こういうデモ隊を規制しないのか?

取り締まりの基準はどこにあるのか、説明していただきたいと思う。

私たちは、平和で平穏な中で生活したいのだ!それを守るのが警察だと思う。

大阪は、こういう事が当たり前に行われているのか?

 

最後に、石原信雄・元内閣官房副長官へのインタヒューがあった。

〇〇隊に脅迫された竹下元首相を始め、7人の総理大臣に仕えた人だ。

 

大正生まれの石原氏。

朝日新聞襲撃事件は、「言論の自由が奪われていった戦前を思い起こさせる」という。

そして「不寛容な空気が、社会を覆い始めているのではないか」と懸念している。

石原氏「(事件は)いわゆる国粋主義、昔の国粋主義につながっている。戦前の2・26事件なんかもそういうところがありました。問答無用で。要するに、自分と違う意見の人が存在することを認めていかないと社会は成り立たないですよね。同調する必要は無いですが、『そういう人たちもいるんだ』ってことを、『彼らには彼らの主張がある』という事は、お互いにそれは、受け止めていかなければいけない。民主主義というのは、一種の『我慢強さ』が必要なんでしょうね。」

 

ヘイトスピーチやヘイトデモは、社会の不安を増幅させるだけだ!

子供たちに「平和」を残すために何をすればいいのか。

戦後、平和の中で生きることができた私たちは、それを考える必要がある。

ヘイトスピーチを子供が聞けば、子供は「大人が言っているから、言ってもいい言葉だ」と認識する。

それを避けるためにも、きちんと警察に取り締まっていただきたいと思う。