ゴゴスマは、大きなボードに時系列で簡潔に内容がまとめて書いてあり、アナウンサーやコメンテーターの(専門家の)方々が「わかりやすく」説明して下さるので、今起きているいろんなことがよくわかる。わかったことをまとめてみた。
疑問1、前川氏とはどういう人?
1971年、東京都庁入庁
2002年~、都知事本局長
2005年7月、都庁退職
2014年~、練馬区長
前川氏の動き
2000年10月、浜渦副都知事が東京ガスと交渉開始
浜渦氏「水面下でやりましょう」
水面下の合意内容「土壌汚染対策は東京ガス、護岸工事は東京都が負担する」
2001年7月、豊洲移転に関する都と東京ガスとの基本合意がされる
(浜渦氏が関わったのは、ここまで)
その後、知事本局が中心となって話をすることになった(担当変更)
2002年7月、知事本局の前川氏が、東京ガスと豊洲地区開発整備に関わる合意をする
→前川氏の印
内容「都の環境条例(ゆるい対策法)に基づいて対策してくれればOK」で合意。
(瑕疵担保責任について明記なし)
その後、2003年2月、土壌汚染対策法施行(厳しい対策法)
そのため、都は東京ガスに「もう少しきれいにして下さい」という事で
2005年5月、前川氏が東京ガスに「豊洲地区用地の土壌処理に関する確認書」を取り、合意の上→前川氏の印
内容「東京ガスが地表2メートルまでは汚染を除去する」
(瑕疵担保責任について明記なし)
2005年7月、前川氏、東京都を退職(浜渦氏、副知事辞任)
2007年4月、東京ガスが100億円で「土壌汚染対策工事完了届」(地表2メートルまでの汚染除去完了)を出す。
石原氏は都知事選で土壌汚染問題(環境問題に対する世論の高まりを受け)を争点にした。
専門家会議発足→都が再調査に入る
10月、環境基準の1000倍のベンゼンが検出(2メートル汚染を除去したのに出てきた)
2008年5月、環境基準の4万3000倍のベンゼンが検出。このため、追加の工事が必要になり、1000億円という試算が出た。
技術会議で工法を検討したところ、「586億円に圧縮できる」となった。
東京ガスは以前「地表2メートルまでの汚染を除去すればOK」の合意(前川氏の印)があるので、お金を出したくない。
だから(負担費用について)「都から正式に要請があれば対策を考える」とした。
2011年3月、話し合いの結果、「土壌汚染対策の費用負担に関する協定書」(都が508億円、東京ガスが78億円を負担する)の内容で合意。(印を押したのは誰?)
(瑕疵担保責任について明記あり)
2012年、前川氏が東京ガス退職
2014年4月、前川氏、練馬区長選出馬→当選
(前川氏は、東京ガスとの交渉にどこまでかかわっていたのか?なぜ、東京ガスの執行役員になれたのか?)
3日の石原氏の会見後の、前川氏のコメント
「実際の契約までもっていったのは、私が辞めて6年7年あとの事。しかも私は浜渦さんと一緒に辞めている。とばっちりです。
知事本局長は立会人で、何の権限もない。ただの調整機能しかない」
(しかし、番組で都の開示資料を分析したら、2002年の合意を受け、都とガスの2005年までの計11回の交渉の場には、全てに知事本局の担当者が出席していて、打ち合わせの記録あり)
記録の2件について説明
記録1
2004年7月、知事本局参事の話「土壌汚染の問題は、これまで都と東京ガスで事務的に詰めてきたもので、庁内で知事本局長(前川氏)までは話をしているが、副知事には昨年の5月以降は一切上げていない」
記録2
2004年12月、東京ガス側から「(土壌処理の進め方について)都に対していろいろ提案しているが、都から誠意ある回答が全くない」と言われた。
前川氏は「うちの職員も一生懸命やっている(←全てを知っている?!)。全く回答が無いなどと言われるのは心外だ。こんなことで東京ガスと都の協力関係にひびを入れるのはよくないのではないか」と発言。
前川氏が出席し、発言内容も記載されている。
2002年7月、2005年5月に前川氏の印が押してある以上、関係者であることは間違いないので、百条委員会に出席して「浜渦氏以降、東京ガスとの協定書」(権限があったのは誰か?瑕疵担保責任についての免責・費用負担の配分に至るまでの話し合いの流れ)作成までの経緯を、説明していただきたい。
疑問2、石原氏の会見の内容で、全然わからなかった部分について
石原氏「‥‥前川氏と都議会の方にも責任があると思いますよ。特別委員会で、非常に際どい形で議論が分かれた時に、委員長の民主党議員を説得して、その人の1票差で特別委員会の採決が決まった。
その後、その人はなぜか民主党を出て、当分の間、無派閥の議員の席に一人で座っていた。
この人は後に、「自民党の推薦」で世田谷区長選挙に出て、私も自民党に頼まれて応援に行きました。
そういう、際どい議会の操作の結果、とにかく議会も承認したわけですし、しかも、公明党と自民党もこれ(豊洲移転)に賛成して、議会の総意として決まったわけですから‥‥」
これについての「ゴゴスマ」での説明
2011年3月、都議会第1党は民主党(当時)。
豊洲市場の設計等の予算案、約21億円の審議をした。
→可決すると、都議会は市場の建設を「事実上」容認することになる。
都議会定数127人(欠員1議長1)で、過半数は63人。
自公などの賛成派62人、民主などの反対派63人。
普通の票読みだと「反対多数」となり、移転はストップになるはずが、投票したところ、自公など賛成派63人、民主など反対派62人で、「豊洲移転」が決まった。
どうしてそうなったのか?誰が「反対」から「賛成」に回ったのか?
それは、民主党のH都議(「築地市場の移転再整備に関する特別委員会の委員長」→豊洲へ移転しないという民主党側の委員長)が「賛成」に投票した、ということ。
結局H氏は1か月後の2011年4月、都議をやめて世田谷区長選挙に出る。無所属で出馬し落選。H氏を応援したのが自民党都連。当時の自民党都連幹事長が内田氏。
つまり、豊洲移転の投票に際して操作したのは?!
だから石原氏は、こういう流れについて「そういう際どい自民党の操作があった」(背景にある議会の動きについて)と言及していた。
という事は、誰かが「後の世田谷区長選で後押しするから、寝返りなさい」と、H氏に言ったという事か?!
結局、この当時取材していた人たちには、石原氏の会見を聞いて「内田氏」とわかった。
「『前川さん、前川さん』と、話していたから、この流れで『内田さん、と言うかな?』と思ったが、息子の役職の事もあり、石原氏は暗に『こういう流れを作ったのは内田氏』と言いたかったのではないか?
しかし、関係者にはわかっても、一般の人にはわからないだろう。」
当時の議会が、なぜそこまでして豊洲移転にこだわったのか?中心人物の内田氏を百条委員会に呼んで、説明してもらう必要がある。
きょう、石原氏が「訴訟を起こす」ような発言をしていたが、豊洲については「検査の結果待ち」で税金の無駄遣いというのとは違うし(責任の一端は、石原氏にもある)、それを言うなら、石原都政時代の「新東京銀行」の件とか、都民(国民)は忘れていないので。